短大を卒業して1年後に結婚しました、平凡ですが幸せな日々でした。

私が40代に入った時に、健康優良児のような主人が病気で亡くなって、主人に頼りきっていた私は絶望のどん底でした。

悲しみから抜け出したくて近くの運動公園の中にあるプールに通い、夢中で毎日泳いで過ごしました。

そしてそんなプール好きが高じて、気づけば監視員として働くまでになっていたのです。

そんな日々の中、実家の母は交通事故の後遺症で歩行が危なくなり、その体で料理は難しくなって来ました。

しかし私の自宅から実家までは距離も離れている事もあり、通っての食事作り等は私も体力的に続かなくなってきたのです。

主人が亡くなった事で両親にはずっと心配をかけて来ましたから、今は両親のそばにいて、2人が困らないようにすべき時だと思い実家に帰る事にしました。

両親を助けながら暮らすために、何で生計を立てていくかを考えていたそんな時に、友人二人がお互いの技術を持ち寄って仕事をしましょうと誘ってくれて、私の実家からすぐのところで癒し系サロンの仕事を始めました。

当初はそれほど深く考えず「家から近いところで、時間の融通が利く」と始めたお仕事でしたが、お越しになったお客様が笑顔になられるのを見ていると、とても遣り甲斐を感じ、天職を見つけたように思ったものです。

そうやって忙しい日々過ごしていくうちに母の状態は要介護度5に悪化。そして父も脳出血から要介護度5に。

とうとうヘルパーさんに任せるのも限界になってきました。

仕事は面白く充実していましたが、病弱で生まれた私を大切に慈しみ育ててくれた両親が弱って目の前にいる、今は仕事より親孝行をするときだと思い、仕事を辞めて両親の介護に専念する事にしたのです。

最後はたくさんのヘルパーさんの手を借りて、両親が天寿を全うするのを見守りました。

両親の旅立ちに対して精一杯の見送りができたことで、私も新たな道に進みだそうと決意ができ、独立して自分のサロンを始めることにしたのです。

サロンを始めるにあたって、これまでは癒し系のサロンで働いてきました。

しかし両親をみとった経験もあって、更にもう一歩進んで今度はお客様の健康を作ることまでできないか、と考えていました。

そんな中私の師である先生の一人から、外反母趾を歩き方を改善することで治している先生がおられることをお聞きしました。その先生が中島先生です。

私は外反母趾では無いものの、歩き方がおかしいと家族に言われていたので、とても興味を惹かれお話を伺いに行きました。

その時伺った話は全て目からウロコ、歩き方や足の重要性を深く思い知ったのです。

その時に実際に少し歩き方を指導していただいたのですが、私の今までの当り前が、いかにズレていたかに気づき衝撃を受けました。

それから改めて周りを見回すと、多くの方の歩き方は問題があることが見えてきました。

外反母趾の人も多く、妹や親しい友人もそうでした。そんな方たちはみな痛みを減らすグッズを色々使ったり、痛いのを何とかしようとその為の運動をして、人知れず苦労している事を知りました。

「これらの人たちが歩き方を修正することで、もし悩みを改善することができるなら、本当にすごいことだな」と思っていたある日、私自身でそれを体験する日が来たのです。

教えて頂いた「ゆるかかと歩き」を続けていたある日、それまでまともに上がらなかった私の両腕が、楽に上まで上がるようになっていたのです。

多少痛みもあったので、左腕を下にしては寝られない程でしたが、徐々に悪くいたので、「年のせい」等と半ば諦めていました。

しかし今は自由に寝返りを打てるのです。

中島先生によると「足は体を支える土台なので、全身に影響があります」とのこと。

私の肩の状態はどうやら歩き方が悪く、そのせいで足の状態が悪化したことに原因の一端があったようです。

自分の体で身をもって知った歩き方改善の絶大な効果。

これを多くの方に伝えたい。

「ゆるかかと歩き」は、たくさんの人を救えて助けられると確信を持ちました。

このことを通じてたくさんの人を笑顔にする為に惜しまず努力して行きます。